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ちょっとの希望と

etc., 2011/09

ちょっと唐突なようですが、建礼門院右京大夫(けんれいもんいんのうきょうのだいぶ)という平安時代末期から鎌倉時代初期に生きた歌人がこんな歌を詠んでいます。

「月をこそながめなれしか

    星の夜の深きあはれを今宵知りぬる」

要約すると「月を眺めるのはこれまでも慣れていたけど、星の夜の深い『あはれ』というものを今夜はじめて知った」ということです。

実は和歌には星の歌っていうのはほとんどないんですが、この歌はその例外のひとつです。

なぜ和歌に星を詠んだ歌がほとんどないのかについては諸説あるようですが、和歌という芸術がかなりしっかりと様式化・定型化していて、単にその様式の中に星を詠むという習慣がなかったからというのが本当のところなんじゃないかと個人的には思っています。

で、本題なんですが、建礼門院右京大夫さんがなぜその様式からはずれて星を詠んだか、詠めたかって話なんですけど、この歌を詠んだ前年に恋愛関係にあった平資盛という人が壇ノ浦に入水して亡くなっています。そして400年近く続いた平安朝が鎌倉幕府に取って代わられるという大きな時代の変換期だったという背景が関係しているのではないだろうかと思います。

宮仕えをしていた人ですから、平安朝の側の人です。おそらくこのまま永遠に続くだろうと思っていた自分の所属集団・体制が崩れようとしているのを目の当たりにすることによって、その体制が含んでいた所の和歌の様式からも解放された。だからこそ、和歌に星を詠むことができた。

そういうことなんじゃないかと想像します。

なんていうことをこの2011年の夏の終わりに連想してみたいな。なんてね。こんな時だから建礼門院右京大夫さんのように様式や定型や常識や思い込みから解放されて、新しくこの世界を見られるようになるんじゃないかと。もうちょっとそういう風になっている人もいるんじゃないかと思いますが。今はそういうチャンスの時だと私はとらえています。

様式や定型から解放されたって和歌がなくなるわけじゃない。むしろいままでになかった和歌が作れるようになったんだと。

どんなに体制が崩壊しようが地震が起きようが津波が来ようが、人間は生きてきたんですから。そこを出発点にした方が無理がないように思います。

そうすると「死の町」を生み出す発電ってどうなんだって話もしやすくなるんじゃないかなと。そもそも永遠に続く体制も経済も市場も主義もないんだから。

などと思う中秋の名月の二日後の夜でした。


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