conception, 2011/07
「に」で日本語は抽象的な概念をほとんど漢字に負っていると書きました。ちょっと予定を変更して、これが一体どういうことなのかを具体的な例を挙げながらみていきましょう。
漢字が日本に輸入された当時の日本には文字はなかったようです。少なくとも漢字ほど体系的な文字はなかったと言ってよさそうです。しかし、口語でされる日本語というのはもちろん存在していました。「やまと言葉」です。で、そのやまと言葉と漢字との影響関係を探るのに一番役立ちそうなのがとりあえず辞書なので、三冊の辞書を用意してみました。
ひとつめは、岩波書店「古語辞典」。これは奈良時代から江戸時代前半までの日本の古典に出てくる語彙を収めて、その出典まで明らかにしている辞典です。実際には奈良時代より100年前の飛鳥時代に漢字は入ってきているので漢字がやまと言葉に影響したものも含まれるでしょうが、出典の早いものには元のやまと言葉の使用法を想像できるので、これを手がかりにしてみましょう。
ふたつめは、三省堂「全訳・漢辞海」。これは日本で使われている漢字から離れて、古典中国語で使われている漢字の意味を翻訳したものなので、日本に輸入された当時の漢字の持っていた意味が分かります。
みっつめは、岩波書店「広辞苑」。説明不要。現代日本語の辞典です。
ここでひとつの言葉をそれぞれの辞書で調べてみると、面白いことが見えてきます。とりあえず「認める」で見てみましょう。
「古語辞典」では、〔みと・め【認め】《見留めの意》見てたしかめる。しかと見定める。〕とあります。基本的には意味はひとつです。
「漢辞海」で調べると、〔1. みと-める・ミト-ム。ア. 識別する。他との違いを見分ける。イ. 見なす。思う。考える。ウ. 同意する。承知する。エ. 人と親族関係を結ぶ。親密な関係があることを肯定する。オ. 文句を言わない。あきらめる。〕と出てきます。いつつの用法がでてきます。
最後に現代の「広辞苑」で調べると、〔みと・める【認める】(見留める意)1. よく気をつけて見る。2. 目に留める。3. 見て判断する。4. 見てよしとする。かまわないとして許す。受け入れる。5. みどころがあると考える。〕となっています。
古典中国語から脱落した部分もありますが、「見て留める」に「判断する」ことや「受け入れる」など、日本語は漢字を取り込むことによって、ひとつの言葉の意味を増大させているという事が分かります。さらに、漢辞海にはこういう言葉がつづきます。【認可】【認識】【認証】【確認】【誤認】〜と。こうなってくると、単に言葉の意味の増大という事だけではなく、漢字を輸入するということは同時に日本人が「概念」を手に入れたことでもあることがよく分かると思います。
これは日本人は本来、客観的事実を正確に把握してそれをひとつの概念として認識することにはあまり興味がなかったということなのかもしれませんが、逆に考えるとだからこそ意外とスムーズに日本語では足りないものを受け入れることができたとも言えそうです。
よくもわるくも、あまり「こだわらない」という。次回に続きます。