conception, 2011/07
とりあえず歴史をなぞるところからはじめることにしましょう。日本語にはご存知のように漢字、平仮名、片仮名という3種類の文字があります。
それらの文字はすべて漢字から派生していて、そもそもその漢字は中国から仏教とともに日本に入ってきたとされています。教典とそれから寺院などの建築技術習得のために文字を取り入れたわけです。
ちなみに「仮名」に対して漢字を「真名」と読んだりもします。
縄文時代から弥生時代へかけての狩猟採集社会から農耕社会への転換については諸説ありますが、その転換期に外国からの影響があったことは否定できなさそうです。そして農耕社会が成立するには言葉を話す必要があっただろうことも、恐らく否定できないだろうと思います。農耕は村単位で行われていたでしょうし、ある程度の人数がコミュニケーションを成立させるにはそれ以前より言葉に正確さが求められたことでしょう。この時点ではまだ「文字」があったかどうか定かではありません。とりあえずここらへんで使われていた言葉を「やまと言葉」とここでは便宜的にしておきます。
そのあと、古墳(飛鳥)時代には明らかに朝鮮からの影響があって、現在も使われている行政に関する単語に朝鮮との対応関係が見られるそうです。おそらく律令制の成立と関係があるのでしょう。
そしてその飛鳥時代の後半から奈良時代の前半に朝鮮を通じて仏教とともに漢字が入ってきたようです。
平安時代以降、漢字を崩して音読文字として発生した平仮名は和歌や源氏物語など私的表現に用途を絞って使われ、公的な文書や仏教などに関する哲学的著作はすべて漢文で書かれています。そして片仮名は漢文を読む際の補助として使われていました。つまり日本の著作は平仮名もしくは漢字仮名まじりで書かれたものと、漢文で書かれたものがあり、用途によって使い分けてきたということのようです。かなりざっくりですが、日本で「文字」が定着していった過程です。
そもそも仏教を受け入れることには反発もあったようですが、それに付随してついてくる「文字」と「技術」の重要性にはかなわないませんでした。以前は記憶に頼っていたものが文章にあたれば、より正確に知ることができるわけですから、これはたいへん大きな転換点であったと言えそうです。
そして話は飛んで明治維新。それまで中国文化圏の一国を自認してきた日本が再び転換期を迎えます。
それがいわゆる脱亜入欧という言葉に現れるのですが、どうやらなかなか近代化に踏み切れない中国(当時は清)に対するいらだちがあらわれた表現に私には思われます。このまま近代化しない(亜細亜)でいるとヤバいから近代化(欧羅巴)しちゃうぞ。っていう。ま、置いておいて。
民法はフランス語から、刑法・医学はドイツ語から、議会制度はイギリスの英語からそれぞれ翻訳して、それこそものの30〜40年で300年近く続いてきた幕藩体制から制度を大きく変えることに成功しました。
では、なぜそれが可能だったのか。そもそも明治維新は革命ではなく、下級武士が起こした反乱だったという面があります。面じゃないな。ほぼそういっちゃってかまわないと個人的には思っています。そして徳川幕府の体制はほとんど官僚機構みたいなものだったので、実際にはそんなに大きな変化ではなく、持続の面が強かったのではないかとおっしゃる方もおられます。ま、いまだに脱官僚ってやってますけれども。
そしてさらにもうひとつの持続面があります。漢字です。
江戸時代は漢語を学んでいました。それは武士階級にとどまらず、町人社会でも寺子屋で教えていたのは論語などでした。そしてその漢字(と、それに対する素養)があったからこそ、西洋の「概念」を「翻訳」することができたわけです。その中には漢字を使って新しく造語したものもあれば、もともとあった言葉の意味を少しずらして訳語としてあてたものもあります。これはどういうことかというと、新しく「概念」を覚える必要がなかったということです。
つまり漢字文化という背景を持っていたからこそ明治維新を成し遂げ、開国を可能にしたといえると思います。
実際これはそんな大げさな言い方でもなく、元々やまと言葉には抽象名詞が少なく、そのほとんどを漢字に負っているという事実からも明らかだと思います。そして、ここからが面白いんですが、江戸時代に漢語を学んでいたとさっき書きましたが、それも実は読み下していたわけです。相当優秀な人は外国語としての漢語をマスターしていたんでしょうが、大抵は日本語の語順で理解できるように読み下して読んでいた。そうしながら漢字の持つ概念を理解しちゃってたというのが日本語で日本人だということのようです。融通が効くというか、便利というか。。。
そして現在日本は、約50,000語あるといわれている漢字の中から常用漢字を制定して、2,000文字未満に制限しています。
それによって何が起こるのか。先ほど書いたように日本語は抽象的な概念についてはそのほとんどを漢字に負っています。漢字を制限すると抽象的な物事を捉える概念の語彙も制限されることになるわけです。ちょっとした懸念ですけど、抽象的な概念の語彙が少なくなればそれだけ物事を構造的に捉えることが容易でなくなってしまうという可能性もありそうです。明治維新の頃の日本人と比べて、という話ですけれど。
続きは次回。