脇本健弘・町支大祐 編著
第一法規
2021
book, 2021/10
2022年9月の段階で東京都の小学校の教員が130人不足しているとか、過労死ラインが月80時間と言われるのに、教員の月の平均残業時間が96時間44分だとか、しかも残業代が出ないだとか、その対策として文科省が出してくるのが「やりがいPR」「教員免許がなくても教師にできるようにする」とかいう訳のわからないことばかりで、労働環境の改善のために具体的に残業の内情を調査するだとか、単純に給与を上げるだとか、付け足し付け足しで複雑になりすぎた学習指導綱領を再考するだとかにならない理由がわたしには全く理解できないのですが、とにかくいま先生は大変だと思います。
ちょっと前に「授業料を払って学校に通う生徒たちを教師はお客様として扱うべきだ」みたいな話を読んで驚愕したことがあるのですが、ここで言われている「お客様」は「消費者」という意味になるのでしょう。そうなると順番として、「教育」が「商品」になるんでしょうが、これは単純に株式会社を基礎単位とする資本主義的な考え方を教育に当てはめるからこういう訳のわからないことになるので、いやいや学校教育は商品の売り買いとは違います。社会的共通資本です。と真顔で書いておきます。
社会的共通資本というのは、それなしでは社会が存続することができなくなるもの。自然環境(空気、水、土壌)、社会的インフラストラクチャー(上下水道、交通網、電気・ガス)、制度資本(教育、医療、行政など)のことです。宇沢弘文さんの卓見だと思います。なぜ教育が社会的共通資本に含まれるのかというと、教育から得られる成果は生徒個人のものではなく、子どもたちが成熟した大人になることによって社会全体が受益するという循環があるからです。
というのを前提として、この本です。わたしはいわゆる団塊ジュニアと言われる世代にギリ入っているのですが、その我々の子ども時代といえば、1クラス40人は当たり前、それで全13クラスある。みたいな時代ですね。当然、教員数も必要になるので大量に採用したわけです。その後、教員数は足りているので採用数は少なくなります。年月が流れ、団塊ジュニアの入学と同時に大量採用された教員たちが定年退職を迎えるとどうなるか。教員数が足りなくなる。さらに加えて、定年退職する年代の後に続く中間の年代の教員数も少ないわけで、新人の先生を教育する人がいないという事態が起こる。というか、起こっている。ということです。
行政府が教師の育成という観点を欠いた結果なんですが、現場で必死に教育を維持・回復しようとしている取り組みがこの本を成立させています。