岡本貴之 編 有賀幹夫/太田和彦/角田光代/近藤雅信/zAk/佐野敏也/高橋靖子/高橋 Rock Me Baby/蔦岡晃/手塚るみ子/のん/日笠雅水/宗像和男/百世/森川欣信/山本キヨシ/渡辺大知
河出書房新社
2019
book, 2019/04
日本にはサブカルチャーはあるけど、カウンターカルチャーと呼べるものがない。もしくはそれがあらわれたり表現されたりした場合に、それを「メンドくさい」と感じる人の数が圧倒的すぎてカウンターが存在し続けられない。だから日本では本当の意味でのポップカルチャーがあるように思えないんだろうな。と、この仕事を通してぼんやり私は思いついていました。
私は忌野清志郎の、おそらく正統的なファンでもなんでもありません。私にとって忌野清志郎といえば『い・け・な・いルージュマジック』と TIMERS というくらいなのですが、それでもしかし、多少は真面目に音楽を聴き続けてきた音楽好きとして、彼が参照していたオーティス・レディングやジョン・レノンなどから受けた影響の咀嚼の結果を、それがそれとして分からなかった時も含めて、感じていたのだろうと思います。彼が「君が代」を演奏した直接の影響はジミヘンのアメリカ国歌演奏だっただろうと想像しますが、ジミヘンがあのように演奏した国歌を初めて聴いた時、私は正直文字通り「歪んでいる」と思いました。当時のアメリカでも様々な反応があったようですが、ジミヘン本人が後のインタビューで「I Thought That was Beautiful(あれが美しいと思ったんだ)」と言っているのを知って、驚いた経験があります。
「反骨」だとか「反発」とかいう言葉を思い浮かべていたら、そこに「美しい」という言葉が出てきて驚いた。
私は素直なところがあるので、この言葉がすんなり入ってきて納得してしまいました。もちろんこの言葉をそのまま真に受けてしまうのはやや危ないかもしれませんが、たとえ社会が規範としているところから逸脱したとしても、自分が信じたものを「美しい」と思うこの心情が、カウンターカルチャーを裏支えしているのかもしれないという発見は大きかった。
「衝動」があって「稚気」があるということだけではなく、そこには「価値観の転倒転回」「視点の転換の自由」があるということだと思います。自分が社会の規範の中に収まっていることをいかに当然のこととして受け入れてしまっていたのか、を「美しい」という言葉がひっくり返してくれた。ということです。
そういう例はロックの世界にはいくらもあります。ブルース・スプリングスティーンの『Born in the U.S.A.』は世界で最も誤解されている曲のうちのひとつだと思いますが、「視点の転換」を聴く人に要求する、しかも転換ができない人には誤解しか残らない。ザ・ポリスの『Every Breath You Take』も同様です。心地よいラブソングのようにも聴けるし、監視と支配の歌とも言える。
目をキラキラ輝かせながら話す編著者、編集者さんたちと話をしながら、そしてこの本に収録されている直接の関係者や影響を受けた人たちの話を読みながら、忌野清志郎という人はこの「視点の転換の自由」を持っていた日本ではちょっと珍しい人だったのではないだろうか。
という「メンドくさい」ことをつらつらと考えながら進めていた仕事でした。